ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の知識
「比類なきオーケストラ」の秘密
ウィーン・フィルは、高級感あふれる優美でデリケートな響き、歌劇の演奏で鍛えられた一分の隙もない高度なアンサンブル、個々のパートの充実した音楽性は、他のオーケストラの追随を許さない。ハンス・クナッパーツブッシュは「比類なきオーケストラ」と称えている。その素晴らしさは個々の奏者の技量というよりは、ウィーンにおいて培われてきた伝統的な奏法・独自の音色に誇りを持ち、それを創立以来固守し続けてきたことに起因するといえる。それゆえに指揮者からの要求に対して、技術的に可能であっても彼らの音楽性に適わないと判断した場合は、はっきりと拒絶することさえある。独特の音色の秘密として、管楽器はホルン|ウィンナ・ホルン、オーボエ|ウィンナ・オーボエ、トランペット|ウィンナ・トランペット、ティンパニ|ウィンナ・パウケンなどウィーン・フィル独自の古いスタイルのものが使われている(クラリネットやトロンボーンもドイツ式とは少し違うが、近年職人の減少により日本のヤマハがこれらの楽器の開発と製作に携わっている)。また弦楽器は、コンサートマスターを除いて同じオトマール・ラング工房で製作されたものが用いられている。もちろん、これらの楽器を弾きこなすためのテクニックは、ヴァイオリンであればヨーゼフ・ベームやゲオルグ・ヘルメスベルガー(ウィーン・フィルの初代コンサートマスターでヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世の父)を創始者として代々の楽員に継承されているウィーン・ヴァイオリン楽派による。かのヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラーは試みにウィーン・フィルの使っている弦楽器を当時自分が監督をしていたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(現ウィーン交響楽団)で使用してみたが、ウィーン・フィルのような豊麗な響きを作り出すことはできなかったという(フルトヴェングラーの著作「音と言葉」に彼自身がこのエピソードを記している)。楽器のみならず奏法にもウィーン・フィル独自のものが存在する。弦楽器のボウイングは弓の元から先端ぎりぎりまで使い、柔らかい音を出すため、弓を指板の近くで幾分力を入れて弾く(スル・タストの一種)、強拍であげ弓で弱拍で下げ弓の逆ボーイングもしばしば見られる。またピッチ(音程)の取り方は他のオーケストラよりも高く450Hz近く、音色の高次倍音が少なくなり純度が高まり、アーティキュレーションも音を切る際には、際立たせて切る。これはムジークフェラインザールの残響が長いため、音楽の輪郭がぼやけないように自然に音を切る傾向になったとも言われている。指揮に対する反応も独特で、拍を振り終えてからようやく音を出し始める(ドイツ語圏のオーケストラにはしばしば見られる)傾向があり、カラヤンのような指揮者にはあうが、ウィレム・メンゲルベルク|メンゲルベルクやゲオルク・ショルティ|ショルティなどのように、指揮棒を振り下ろした時点で即座に音を出すことを要求する指揮者とは意見が衝突することもしばしばだという。近年、ニコラウス・アーノンクール|アーノンクールやジョン・エリオット・ガーディナー|ガーディナー、ロジャー・ノリントン|ノリントンらの客演により古楽の演奏法が理論的に浸透するに連れて、当時のピッチやボーイング、ヴィブラート、テンポ、バランスなどの点で指揮者の意見が通る例が増えてきている。無論、現代曲のグリッサンドが必要なティンパニの場合はペダルのドイツのギュンター・リンガーのものを使用するか、第二奏者が調律ねじを操作する(通常はシングルハンドル式のウィンナ・ティンパニを使用する)。楽器配置もウィーン・フィル独自の並ばせ方があり、ムジークフェラインザールで演奏する際は、歌劇場のピットをそのまま舞台へ上げたような配置で演奏する。基本をドイツ式配置とし、パーカッションは左手奥へ、コントラバスは金管の後ろ、オーケストラの一番後ろの列で横一列に並ぶのが一般的である。しかし、レナード・バーンスタイン|バーンスタインとの演奏では指揮者の意見を尊重しているらしく、弦楽器を第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの順(アメリカ式)に配置しているのが、市販されている録画で確認できる。ウィーン・フィルが定期演奏会を行う会場は、ウィーン楽友協会大ホール(ムジークフェラインザール)であるが、このホールのすべてが溶け合った陶酔的な響きと長い残響時間もオーケストラの美質を助長しているのは疑う余地がない。彼らが得意とするレパートリーはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン、リヒャルト・ワーグナー、アントン・ブルックナー|ブルックナー、ヨハネス・ブラームス|ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなどいずれもウィーンとゆかりの深いドイツ系の作曲家であり、特にウィーン・フィルの指揮台に立った作曲家のうち数人は、このオーケストラの美しい音色を想像して作曲を行ったとさえ言われている。ひとまわり歴史が浅く戦後急速に国際色を強めたベルリンフィルをさしおいて、ドイツ音楽演奏の第一人者として遇されるゆえんである。また地理的な理由によりイタリアオペラやフランス物・ハンガリー音楽など、更にロシア物やスラヴ系の音楽にも優れた資質を示す。ウィーンで生まれウィーンで亡くなり、ニューイヤーコンサートを通じて看板レパートリーのように思われているヨハン・シュトラウスとは意外にも生前には疎遠であり(機会音楽として軽視していた)、彼を高く評価していたマーラーの指揮を通じて接近、ワインガルトナーを経てクラウスがようやくレパートリーとして定着させた。なおウィーン・フィルの最初期のレコーディング(1924年の機械吹き込み)には「美しく青きドナウ」「ウィーン気質」「天体の音楽」「うわごと」などワルツの有名曲が選ばれている(指揮はヴァイオリン奏者であったヨーゼフ・クライン)。他にウィーン生まれの作曲家としてはシューベルトなども重要なレパートリーである。近現代の音楽も決して不得手ではないが、戦後数年ぐらいまでは楽員が近現代の作品を演奏することに対してあからさまに拒絶反応を示すことがよくあったという(ゆえにレコードプロデューサーのジョン・カルショーは「1910年以降作曲された作品に関して演奏することを極端に嫌がるオーケストラ」と評している)。独自の潤いを持つサウンドが近現代音楽とはミスマッチだという意見もあるが、「春の祭典」の大マニアでレコードコレクターであった英文学者の鍵谷幸信は、それでも「(この曲を演奏する上での)欠点と呼ぶには美しすぎる」と書いている。特に彼らの常任指揮者でもあったグスタフ・マーラー|マーラーの交響曲に対する反発は非常に強かったが、マーラーの弟子であったブルーノ・ワルター|ワルターや、マーラーの交響曲を得意としたレナード・バーンスタイン|バーンスタインが数多く取り上げるようになってから、マーラーはウィーン・フィルの主要レパートリーの一つとなった。最近では、新ウィーン楽派や、ハンガリー出身でウィーンに住んでいた作曲家ジェルジ・リゲティ|リゲティなどもピエール・ブーレーズ|ブーレーズらと頻繁に取り上げるようになった。
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