ギリシア美術の知識
ギリシア美術の収集と研究
近代ヨーロッパ人のギリシア美術に対する関心は、古代文芸の研究が盛んになるルネサンス時代からしだいに高まった。バチカンにあった『ベルベデーレのトルソ』や『アポロン像』、1506年にローマで発見された『ラオコオン』群像などが、ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ、ラファエロ・サンティ|ラファエロらの美術家の創作やゴットホルト・エフライム・レッシング|レッシング、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテらの芸術理論に大きな影響を与えたことはよく知られている。その後も歴代のローマ教皇はじめ、ボルゲーゼ、ファルネーゼ、バルベリーニ、キジなどのイタリアの名門、ヨーロッパ各地の国王、貴族、富豪らは競って古代美術品の収集に努めた。一方、17世紀、18世紀にはギリシアを訪れる西欧の旅行者の数も増え、スポン、レベット、ステュアートらは旅行の見聞録や古代建築遺構のスケッチなどを発表し、ドイツのヴィンケルマンは『古代美術史』(1764年)その他の著作によってギリシア美術の歴史的・体系的研究の基礎を築いた。18世紀末には、それまで関心の対象にならなかったギリシア陶器(当時はエトルリア陶器と考えられていた)の収集が、ナポリ駐在のイギリス外交官ハミルトンによって始められた。19世紀初めイギリス外交官エルギンはパルテノンの彫刻を中心に大量の大理石作品を母国に運び、イギリスの建築家コッカレルらはアイギナ島のアファイア神殿やバッサイのアポロン神殿を発掘調査し、その装飾彫刻をすべて持ち去った。古代美術品の国外持出しが禁止されたのは、1830年頃、ギリシアが激しい解放戦争の末にオスマン帝国の支配を脱してから後のことである。1875年、ドイツの考古学者たちはオリュンピアにおいて、初めて近代的方法による発掘を始めたが、これをきっかけとしてアテネ(アクロポリス、アゴラ、ケラメイコス)、デルフォイ、デロス、コリントス、ペルガモンそのほか大小の遺跡が、欧米諸国の考古学者の手でつぎつぎに発掘された。こうして19世紀以来ますます豊かになった美術資料に基づいて、ブルン、アドルフ・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー、クルティウス、デルプフェルト、コンツェ、ニュートン、コリニョン、レナック、ミハエリスらの先駆的学者が、19世紀後半、ギリシア美術の基礎的研究に大きく貢献した。神話主題の現れるギリシア・ローマ・エトルリア美術およびその最新研究成果については、1981年から1997年にかけてアルテミス出版社(Artemis Verlag)から刊行された『古典神話図像辞典』''Lexicon Iconographicum Mythologiae Classicae''(LIMC)全8巻16冊に集成されている。
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ラテン語のクラシクス (classicus)、すなわち「最上級の」という語は、古代ローマ人が模範とすべき第一級のギリシアの文学・美術を指して用いたことに始まる。美術においては「崇高」「優美」な紀元前5世紀、紀元前4世紀の様式を範とする。このような古代ギリシア美術への憧憬は古代ローマではすでにアウグストゥス時代に始まり、優れたギリシア彫刻が模倣され、またそれら...
