ギリシア美術の知識
建築
:Category:古代ギリシア都市|古代ギリシア都市は上市、要塞、聖域などの機能をもつアクロポリスと、その裾にひろがる下町から成っており、下町には民会、市場、各種の催しが行われる公共広場(アゴラ)を中心に、市民の住宅が立ち並んでいた。議会、行政、司法などの公共施設はアゴラの周囲に並設されるのが普通であるが、適度な斜面を必要とする劇場や、大面積を必要とする競技場や教育・体育施設などはアゴラから離れ、ときには市外に建てられることも多かった。町全体は市城壁で囲まれていた。ギリシア人がこれらの施設のために開発した建築の中で、最も重要なものは神殿であった。神殿建築
神殿はギリシアの公共建築の中で最も古い遺構を残しており、その建築の様式はギリシアの他の建築の手本になったばかりでなく、いわゆる古典様式として、それ以後の西洋建築の規範となった。神殿の平面は単純なメガロン型で、奥行きの深い縦長長方形広間の神室(ナオス)と、その前面にナオスの側壁を延長したポーチ(プロナオス)から成る。プロナオスの正面には側壁の間に2本の柱を立て、玄関柱廊を形づくるのが普通で、この形式をイン・アンティス式と呼ぶ。側壁を正面まで突出させる代りに、側壁の前方にも柱を立て、正面に4本の柱が並ぶことがある。この形式をプロステュロス式と呼ぶ。ナオスの背面には何もないこともあり、またプロナオスと同形のポーチ(オピストドモス)がつけられることもある。このような神殿全体を取り巻くように、四周に列柱廊が造られている神殿はペリプテロス式(周柱式)と呼ばれ、四周に2列の列柱が巡らされているものはディプテロス式(二重周柱式)と呼ばれる。ディプテロス式の内側の列柱が省略され、2スパン分の広い周柱廊を巡らしているものはプセウド・ディプテロス式(疑似二重周柱式)と呼ばれる。初期の神殿の壁は日乾鮭瓦で造られるのが一般的であったため、周柱廊は土壁を保護するため深く突き出した軒を支えることから発生したと考えられている。
オーダーの3形式
石造建築としての神殿遺構は紀元前6世紀から見られる。それらは普通は3段の階段状基壇をもち、縦のフルーティング(溝彫)をつけた円柱を立てる。その上に桁に相当するアーキトレーブ(エピステュリオン)、小壁に相当するフリーズ(ディアゾマ)、壁面より突き出たコーニス(ゲイソン)をのせる。これら、柱の上にのる構造物全体をエンタブラチュアと呼ぶ。エンタブラチュアの形は、初期の木造屋根の構造に由来している。発端となった建築伝統が地域によって違っていたため、ギリシア本土やイタリア南部などではドリス式と呼ばれる建築が、小アジア西海岸ではイオニア式の建築が、並行して発展した。ドリス式では円柱に20本の浅いフルーティングをつけ、フルーティングの境は鋭い稜線をなしている。柱身はエンタシスのゆるい曲線を描いて上の方が少し細くなっている。柱頭(キャピタル)は鏡蛭を逆さにしたような形のエキノスと、正方形の厚い板(アバクス)を重ねた形をしている。アバクスの上にのるアーキトレーブは単純な角材で、最上部にタイニアと呼ばれる単純なモールディングがつけられる。また上にトリグリュフォスがのる所には、タイニアの下に6個の木栓のような形をした露玉装飾(グッタ)をつけたレグラがつけられる。フリーズには、やげん形の縦溝で3本の縦棒のように見えるトリグリュフォスと、ほぼ正方形の浮彫石板(メトープ)が交互に並べられる。トリグリュフォスの中心線は、柱の中心線上と柱間の中央に置かれるのが原則であるが、両端の柱の上にあるトリグリュフォスは、中心を柱中心とそろえるのではなく、フリーズの端に置かれることになっている。このため端のメトープが他より大きくなってしまうので、メトープの幅をそろえようとすると、両端の柱を少し内側に寄せる必要がある。これを隅の柱間の短縮と呼んでいる。屋根は切妻造|切妻形であるため、正面には三角形の破風(ペディメント)があり、その内側のテュンパノン(タンパン)は神々の群像などで装飾される。ペディメントの両端と中央にはアクロテリオンと呼ばれる装飾彫刻がのせられていた。円柱とエンタブラチュアが上述のような部材で構成される建築のシステムをドリス式オーダーという。イオニア式オーダーも基本的にはドリス式に似ているが、円柱には柱礎(ベース)があり、彫りの深いフルーティングの数は24本を標準とし、フルーティングの境に平たんな部分を残すこと、柱頭は左右に渦巻をもつ特殊な形を見せ、アバクスが薄いこと、アーキトレーブに3本の水平区分がつけられていること、フリーズにトリグリュフォスとメトープの区分はなく、連続した装飾浮彫帯になることなどが、ドリス式とのおもな相違点である。なおイオニア地方ではフリーズを欠くことが普通で、その代りコーニスの下に、密に並べられた垂木の先端のようなデンティル(歯状装飾)がつけられる。ドリス式に比べてイオニア式の細部は装飾が豊富で、優雅な印象を与える。このほかに、アカンサスの葉や渦巻で装飾された柱頭を特色とするコリント式と呼ばれるオーダーもある。しかしギリシア時代のコリント式は柱頭が違うだけで、他はイオニア式とほとんど同じであった(オーダーの項目も参照して欲しい)。これらの神殿建築の理想は、建築を構成する各部材がそれにふさわしい完璧な美しさをもち、部材相互間、および全体と各部材の間に理にかなった均衡(シュンメトリア)を保ちつつ、周囲の自然と対立的に調和することであった。この理想はドリス式においては、オリンピアのゼウス神殿、パエストゥムのポセイドン神殿などを頂点とする、紀元前5世紀前半の神殿において達成された。バッサイのアポロン神殿、アテナイのパルテノン神殿など、紀元前5世紀後半の神殿では、早くもイオニア式との混交が始まり、その後、イオニア式に近い、より軽快な比例に変わってゆく。そして、ヘレニズム時代以後は、ドリス式神殿はほとんど建てられなくなった。イオニア式神殿は、クラシック時代盛期には、アテナイのアテナ・ニケ神殿、エレクテイオンなどのほかには残存遺構が乏しい。再建されたエフェソスのアルテミス神殿、サルディスのアルテミス神殿、ディデュマのアポロン神殿などの巨大神殿、プリエネのアテナ神殿、マグネシアのアルテミス神殿など有名な神殿はクラシック時代末期からヘレニズム時代に多い。コリント式神殿は小アジアのウズンジャブルチのゼウス神殿、アテナイのオリュンピエイオンなど、ヘレニズム時代に入ってからである。
公共建築、住宅
アゴラの周りに建てられる公共建築は、多くは前面に柱を立て並べ、三方を壁で囲った長大なホール(ストア)の形式をとっていた。列柱は正面だけのこともあり、中央にもう1列あるものもある。この場合、内部列柱の柱間は正面の柱間の2倍となっているのが普通である。またストアの奥壁にそって、事務所、商店、集会室などに使われる小部屋が並んでいることもある。ヘレニズム時代には2階建ての、いわゆるペルガモン風ストアが盛んに建てられた。アテナイの「アッタロスのストア」がその例である。ときには四方に建てられたストアが共通の中庭に向かって柱廊を開いていることもある。この場合は外部に向かって閉鎖的な列柱中庭(ペリステュロス)を構成することになる。ギリシア都市のアゴラはこのようなストア群で取り囲まれており、それぞれの個性をもったストアの、ほぼ同じ高さの開放的な列柱群が広場に秩序と統一感をつくり出すことになる。市政の最高機関である長老たちの会議場(プリュタネイオン)は、公衆のための食堂と会議場をもっているが、議員数がせいぜい数十人であるから、その建物はヘレニズム時代に発展したペリステュロス住宅に似ている。数百人から千人近くの議員をもつ評議会場(ブレウテリオン)は、長方形広間の3方に階段席を設け、屋根のある小劇場に似た形をしており、演奏会場(オデイオン)とほとんど区別がつき難い。劇場は斜面を利用して鉢状の観覧席(テアトロン)を造り、中央に円形の土間(オルケストラ)がある。その奥に2階建ての建物(スケネ)が建つ。舞台(ロゲイオン)はその2階床面の高さに造られ、舞台の下および後ろは芝居の背景や楽屋として使われた。最大でも人口5万を超えなかったと思われる古代ギリシア都市では生活に要する水は天然の泉に頼っていて、公共の泉は古くから建てられていたが、都市的規模の水道はヘレニズム時代以後のことであった。市内に東西、南北の直交道路を碁盤目状に通し、市内の敷地を聖域、公共用地、私有地に明確に区分する、いわゆるヒッポダモス風の都市計画は、前5世紀ころより普及し、やがてヘレニズム期の都市計画の基本となった。各街区は15メートルから20メートル角の宅地に細分され、1戸あたりおよそ220平方メートルから300平方メートルを占めるのが標準的であった。最も多く見られる住宅平面は、敷地の北側と東側、西側にコの字形に建物を建て、ほぼ中央にパスタスと呼ばれる広い廊下状の空間が東西方向にとられている。パスタスの南側中央は中庭(高級住宅ではペリステュロス)になり、客間(アンドロン)、居間(オエクス)などの主要な居室はパスタスの北側に並べられていた。
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ラテン語のクラシクス (classicus)、すなわち「最上級の」という語は、古代ローマ人が模範とすべき第一級のギリシアの文学・美術を指して用いたことに始まる。美術においては「崇高」「優美」な紀元前5世紀、紀元前4世紀の様式を範とする。このような古代ギリシア美術への憧憬は古代ローマではすでにアウグストゥス時代に始まり、優れたギリシア彫刻が模倣され、またそれら...
