ギリシア美術の知識
彫刻
ギリシアの建築、彫刻、絵画の中で最もギリシア的特徴をもつものは彫刻であるといわれる。ギリシア彫刻をその目的から分類すると、神殿や聖所の礼拝像、神域に立てられる奉納像、死者への哀悼を表す墓像や墓碑浮彫、戦勝や競技の優勝を祝う記念像、神殿の破風やメトープ、フリーズを飾る建築彫刻などであり、ギリシア彫刻は本来ほとんどが直接・間接に神に奉仕する宗教性の強いものであった。彫刻の材料としては青銅と大理石が最も普通で、小型像には粘土や象牙、ときには金やガラスなどが用いられた。石造彫刻では肌、頭髪、ひげ、口、衣装、刺斥などが鮮やかに彩色され、武器、冠、装身具などは別に金属でつくりつけられた。残念なことに、ギリシア彫刻で現存するものは比較的少ない。とくにクラシック時代の巨匠の手になる原作はほとんどが失われている。しかし、古代ローマに作られた多数のギリシア彫刻の模作や大プリニウスの『博物誌』、パウサニアスの『ギリシア地誌』、その他の古文献や碑文などを手がかりにして、ギリシア彫刻の歴史はかなりのところまで再構成できる。紀元前10世紀から紀元前8世紀にかけての幾何学様式時代には、青銅、テラコッタ、象牙の小型像が残るにすぎない。古文献によって、クソアノンと呼ばれる単純・素朴な木彫神像のあったことが知られるが、現存するものはない。本格的な大型の石造彫刻は、アルカイク時代の紀元前7世紀中頃にエジプトの刺激によって成立した。デロス島出土の『ニカンドラの奉納像』やルーブル美術館蔵の『オーセールの婦人像』などは、最も初期の作例であり、その平板な形に木像の名残をとどめている。紀元前7世紀末からアルカイク時代を通じて、多数の等身大あるいはそれ以上のクーロス像が作られた。アルカイク初期の作品には『スーニオンのクーロス』『メトロポリタンのクーロス』『クレオビスとビトン』の兄弟像などがあり、中期には『テネアのアポロン』、後期には戦闘中に倒れた兵士『クロイソスの墓像』などがある。初期の作品では、人体の把握はまだ未熟で、プロポーションは不自然、頭髪や手足の関節部などの細部の表現はまったく型にはまっているが、中期・後期になるにしたがって、身体各部はしだいに均斉のとれた有機的関連をもち、自然で正確な描写に近づいてくる。他方、着衣のコレー像も多く作られ、とくにアクロポリスの丘上で発掘された彩色の跡をとどめる一群の優雅なコレー像は魅力的である。アルカイクの彫刻には、このほかにもアクロポリスで出土した『ランパンの騎士』『子牛を担う人』『ザクロを持つ女神』、デロス島出土の『飛走するニケ』、サモス島出土の円柱状の『ケラミュエスの奉納像』などがある。これらの作品はいずれも身体の中央軸が一直線をなし、像の姿勢はつねにこの軸を中心に左右相称を守っている。神殿を飾る建築彫刻では、紀元前6世紀初頭のコルフ島のアルテミス神殿破風の浮彫をはじめ、セリヌスのC神殿のメトープ、アテナイのアクロポリスの『ヘラクレスとトリトンの格闘』の石灰岩破風と『神々と巨人の戦い』の大理石破風、デルフォイの「シフノス人の宝庫」のフリーズと「アテナイ人の宝庫」のメトープなどがあり、アルカイクの最終段階にはアイギナ島のアファイア神殿の破風群像『トロイア戦争』のような傑作が生まれている。紀元前5世紀前半の厳格様式時代に入ると、彫像の口もとから明朗なアルカイク・スマイルは消え、アクロポリスの『金髪の青年首部』や『エウテュディコス奉納の少女像』などのように、厳しく重苦しい印象が彫像の形姿全体から感じられる。人体の把握はアルカイクに比べて格段に正確になったが、まだ次代の盛期クラシックがもつ優美さには達してはいない。しかしながら男性立像にはアクロポリスの『クリティオスの少年』に見られるように、直立像にわずかながら立脚と遊脚の区別が現れ、そのため像の中央軸はこれまでの垂直線から少しずつ湾曲し始めるのである。この時代の代表作には、2個の青銅像『デルフォイの御者』と『アルテミシオンのゼウス』があり、浮彫には有名なルドビシ玉座の『アフロディテの誕生』がある。紀元前460年頃に完成したオリュンピアのゼウス神殿の破風群像と12枚のメトープ浮彫とは、厳格様式の最後を飾る傑作である。「崇高な様式」と呼ばれる紀元前5世紀後半の盛期クラシックには、ミュロン、フェイディアス、ポリュクレイトスの3巨匠が活躍した。ミュロンは『円盤投げ』などの作品に見るように人体の激しい動きの中の一瞬をとらえることに優れ、フェイディアスは、古代最高の神殿作家の名にふさわしく、高貴・厳粛な彫像を制作した。また、フェイディアスがアクロポリス復興事業の総監督であったことから、パルテノン神殿の92面のメトープ浮彫、祭典行列を表した全長約160メートルのフリーズ浮彫、守護女神アテナの神話を扱った東西破風の群像の中にが、フェイディアスの壮大な芸術的構想が反映していると見ることができる。アルゴス派の巨匠ポリュクレイトスは、コントラポストの手法によって、男性立像の表現に古典的解決を与えた。彼はまた人体のプロポーションを研究して『カノン』を著し、このカノンに基づいて『槍をかつぐ青年』や『勝利の鉢巻を結ぶ青年』を制作した。紀元前4世紀の後期クラシックに入ると、彫像の形姿はしだいにより優しく軽快なものに変わり、気品と自信に満ちた神の顔は、より人間的・情緒的な表情を帯びてくる。いわゆる「優美な様式」の成立である。この時代、アテナイのプラクシテレスは『クニドスのアフロディテ』において初めて女神を全裸の姿で表現し、『トカゲを殺すアポロン』や『オリュンピアのヘルメス』において、親しみあふれる人間的な神の形姿を創造した。パロス島出身のスコパスは、『ポトス(あこがれ)』や『狂乱のマイナス』などの作品で人間の激しい内面的感情の高まりを表すことに成功した。アレクサンドロス大王の宮廷彫刻家であったリュシッポスはアレクサンドロス大王のほか多数の肖像を作り、また競技選手を表した『アポクシュオメノス』では、大胆に彫像の前後の奥行き空間を表現している。紀元前4世紀末のアレクサンドロス大王の遠征の結果、彫刻の中心地はギリシア本土から、ロドス島、ペルガモン、アレクサンドリア、アンティオキアなどの東方に移った。クラシック時代の「崇高」「優美」な理想主義に代わって、彫刻家の現世的・写実的関心が高まり、未熟な幼児や盛りを過ぎた老人、黒人やガリア人のような異民族、それに世俗的、劇的、激情的、官能的なものが好んで主題に取り上げられた。日常的情景を写した『酔える老婆』『眠るサテュロス』、悲劇的な異邦人の最期を写した『采死のガリア人』、断末魔の苦痛を表す『ラオコオン』、力強い運動感にあふれる『サモトラケのニケ』、強い明暗効果の中で錯綜した闘争場面を表すペルガモンのゼウス祭壇浮彫『神々と巨人の戦い』などは、ヘレニズム美術の特徴をよく示している。紀元前4世紀に始まるアフロディテの裸体表現は、この時代にとくに愛好され、有名な『ミロのビーナス』をはじめ『メディチのビーナス』『カピトリーノのビーナス』『キュレネのビーナス』などの立像や、紀元前3世紀にドイダルサスが創始した『うずくまるアフロディテ』型の女神像が数多く制作された。しかし、その多くはかつての神性を希薄にし、女神の名のもとに成熟した豊満な女性の肉体を賛美するものに変わっていた。ギリシア彫刻は、その本来の宗教的性格を失うにつれて、しだいに退潮に向かっていったのである。<メニュー>>>
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ラテン語のクラシクス (classicus)、すなわち「最上級の」という語は、古代ローマ人が模範とすべき第一級のギリシアの文学・美術を指して用いたことに始まる。美術においては「崇高」「優美」な紀元前5世紀、紀元前4世紀の様式を範とする。このような古代ギリシア美術への憧憬は古代ローマではすでにアウグストゥス時代に始まり、優れたギリシア彫刻が模倣され、またそれら...
