ギリシア美術の知識

陶器

ギリシア陶器はそれぞれの時代と装飾様式にしたがって、おおむね次の4つに分類される。第1期は紀元前11世紀頃の原幾何学様式に続く紀元前9世紀から紀元前8世紀にかけてであり、アテナイを中心に幾何学様式が著しい発展をみた。そのモチーフならびに表現はギリシア雷文|雷文、ジグザグ文、菱形文、波状文、網目文など硬直な連続文からなり、これらが器全面を埋めている。ディピュロンの墓地から出土したいわゆる「ディピュロンのアンフォラ」と呼ばれる高さ1メートルに及ぶ一連のアンフォラはその典型である。第2期は紀元前8世紀から紀元前7世紀末におけるオリエント様式の時代で、この期は有翼獣や植物をモチーフとしたオリエント陶器の影響を強く受けた。これらの窯業の中心はコリントおよびエーゲ海域で、別名「コリント式陶器」とも呼ばれる。これらは先の幾何学様式に比べて全般に器形が小さくなり、一方、東方的なモチーフの動・植物の表現は著しく優美となる。第3期は紀元前6世紀初頭から末に至るアッティカ黒絵式陶器の誕生で、ここに初めて太古の神話伝説をモチーフとした人物が装飾の主役となった。紀元前6世紀の後半にはアマシスの画家やエクセキアスらの優れた陶画家が活躍し、黒絵式陶器はアテナイを中心に著しい発達をみた。器の表面を褐色地で埋め図像を黒くシルエット風に描き、その細部を鋭い尖筆で形どる黒絵式の技法はすでにコリント式陶器に見られるが、図像の表現に物語性を導入し、ときには図像の人物の内的感情を表している点で次の赤絵式陶器と並んでギリシア人の人間観をよく表しているものといえる。第4期は紀元前6世紀末の赤絵式の発明以後で、これはアテナイのアンドキデスの画家によって紀元前530年に考案されたとされている。先の黒絵式とは逆に図像を黒い背景から浮かび上がらせ、細部を筆により濃淡をもって表すことにより、人間感情を自由に表現することが可能となり、またその主題も単に神話伝説に限らず、日常生活の一こまなど現実性を加えることによって著しく多様となった。その後エウフロニオスやエウテュミデースらの陶画家が出るに及んで、紀元前5世紀中頃より赤絵式陶器は黄金時代を迎え、これらはイタリア半島や黒海沿岸にまで多量に輸出された。

器形と用途


初期の段階では陶器の種類は比較的少なかったが、古典期以後、ギリシア陶器の器形はその用途に応じてほぼ30種を数える。これらのうち、アンフォラ、ペリケー、スタムノスは主としてブドウ酒、油、はちみつ、小麦などの貯蔵用の器、クラテル、プシュクテル、レベス、カンタロス、ディノスは酒宴用、キュリクス、スキュフォスは飲酒用の盃、小さなレキュトス、アリュバロス、アラバストロンは香油入れ、ただし紀元前5世紀以降の白地レキュトスは葬祭用にのみ供せられた。口縁部が三葉形をなすオイノコエは水さし(または酒つぎ)、垂直あるいは水平の把手のあるヒュドリアは婦人が泉から水を耀むための水甕、長頸のルトロフォロスとレベス・ガミコスは婚礼の花嫁用、円筒形の蓋付きのピュクシスは婦人用の化粧箱、そのほかに皿、鉢、碗などがあった。

技法


成形はすべて轆轤による。その最古の例はミケーネ時代のトロイア第2市から出土した陶器に轆轤の跡が見られる。ギリシアの轆轤は普通は木、テラコッタ、もしくは石で作られた直径60センチメートルから〜70センチメートルの円形ないし四角形の手轆轤で、徒弟の少年が師匠の指示に従って手で回した。陶器の装飾は赤褐色の地色と黒色の釉薬からなっているが、ギリシア陶器で一般に釉薬と呼ばれている光沢ある黒は同じ陶土から得られたもので、厳密な意味でのガラス質の釉薬ではない。焼成は一度に連続して3段階、すなわち酸化、次に還元、最後に再酸化の順で行われる。焼成温度はだいたい摂氏800度から950度と推察されている。

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