グレゴリオ聖歌の知識

歴史


初期聖歌の展開


無伴奏歌唱は、教会の最初期からキリスト教の典礼に組み込まれていた。1990年代半ばまでは、古代イスラエルの詩篇歌唱が初期キリスト教の典礼および聖歌に強く影響を与えたと考えられていたが、今日では、最初期のキリスト教の聖歌には詩篇をテキストとするものがなく、また紀元70年のイスラエル包囲以後数世紀にわたってシナゴーグで詩篇が歌われていなかったことから、この見解は研究者の間では否定されているDavid Hiley, ''Western Plainchant'' pp. 484-5. 。ただし、初期キリスト教の典礼がユダヤ教の伝統を受け継ぎ、それが後まで聖歌のなかに痕跡を留めていることは事実である。例えば聖務日課はユダヤ教の祈りの時間に起源をもつものである。また、アーメンやアレルヤはヘブライ語であり、「サンクトゥス」の三唱はアミダー(立祷)でおこなわれるケドゥーシャ(三聖唱・「神は聖なるかな」と3度唱える)を受け継ぐものであるWilli Apel, ''Gregorian Chant'' p. 34.。新約聖書には、最後の晩餐で賛美歌を歌ったことが言及されている。すなわち「賛美の歌を歌ってから、彼らはオリーブ山へと出て行った」「マタイによる福音書26.30。『電網聖書』http://www.cozoh.org/denmo/Matthew.htm#C26V30とある。また教皇クレメンス1世 (ローマ教皇)|クレメンス1世やテルトゥリアヌス、アタナシオス、エゲリアなどの記録にも、初期キリスト教で賛美歌が歌われていたことがみえるがApel, ''Gregorian Chant'' p. 74.、その言及は詩的もしくはあいまいなもので、この時代の音楽が実際にどのようなものだったかはほとんどわからないHiley, ''Western Plainchant'' pp. 484-7 および James McKinnon, ''Antiquity and the Middle Ages'' p. 72.。3世紀成立のギリシア語のパピルス写本オクシュリンコス賛美歌には、音楽的な記譜があるが、この賛美歌とキリスト教の聖歌の伝統との関係は明らかでないMcKinnon, James W.: "Christian Church, music of the early", Grove Music Online ed. L. Macy (最終アクセス 11 July 2006), (subscription access)。一方、後にローマ典礼で用いられることになる音楽的要素は、3世紀には出現している。対立教皇ヒッポリュトスに著者が比定される『使徒伝承』では、アレルヤを繰返し唱えるハレル(詩篇に基づくユダヤ教の朗誦)を、初期キリスト教の愛餐(アガペー餐)と結びつけているHiley, ''Western Plainchant'' p. 486. 。定時課に歌われる聖務日課の聖歌は、4世紀初頭、聖アントニウスに従って砂漠で修業を行った修道僧たちが始めた、毎週150の詩篇を一巡して歌う連誦に起源を持つ。375年頃には、東方のキリスト教ではアンティフォナ的な賛美歌が流行し、386年にアンブロジウスによってこれが西方にもたらされた。5世紀から9世紀の間に聖歌がどのように展開したかについては、史料が乏しく、学説は定まっていない。410年頃には、アウグスティヌスがミサで昇階曲をレスポンソリウムで歌っていることを記している。678年ごろには、ヨーク (イングランド)|ヨークにてローマ聖歌が教えられていたJames McKinnon, ''Antiquity and the Middle Ages'' p. 320.。この頃の西方教会の地域では、ブリテン諸島(ケルト聖歌)、イベリア半島(モザラベ聖歌)、ガリア(ガリア聖歌)、イタリア半島(ローマ聖歌、古ローマ聖歌、アンブロジオ聖歌、ベネヴェント聖歌) などで各地に固有の聖歌が発展した。これらの伝統は、西ローマ帝国崩壊後に、5世紀にあったと考えられている通年の聖歌集から発展したものかもしれない。

新しい聖歌の成立


を表象する鳩がグレゴリウス1世に霊感を与え、グレゴリオ聖歌を書き取らせた。
グレゴリオ聖歌のレパートリーは、ローマ典礼でつかうために編成されたものである。音楽学者ジェームス・マッキノンによれば、ローマ式ミサの典礼次第の基礎は7世紀末の短い期間にまとめられたものである。一方、Andreas Pfisterer や Peter Jeffery などの他の研究者は、レパートリーの最古の部分はより古い時期に起源を持つものだと主張している。研究者の論点は、聖歌旋律の主要部分が7世紀以前のローマに起源を持つものなのか、あるいは8世紀から9世紀初頭のフランク王国に起源を持つものなのかという点である。伝統的な通説を支持する人々は、590年から604年に在位した教皇グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世の果たした役割の大きさを指摘しているH. Bewerung, "Gregorian chant," ''The Catholic Encyclopedia, Vol. VI'', 最終アクセス 23 August 2006 など。しかし、ウィリー・アーペルや Robert Snow によって支持されている、現在の研究者たちの見解では、グレゴリオ聖歌は750年頃以降にカロリング朝フランスにおいて、ローマ聖歌とガリア聖歌を統合、発展させたものと考えられている。教皇ステファヌス3世 (ローマ教皇)|ステファヌス3世は752年から3年にかけてガリアを訪れた際に、ローマ聖歌を用いてミサをたてた。カール大帝によれば、その父ピピン3世は、ローマとの関係を強化するために、ガリア典礼を廃止してローマ式に換えたというApel, ''Gregorian Chant'' p. 79.。785年から6年には、カール大帝の要望に応え、教皇ハドリアヌス1世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス1世が、ローマ聖歌を含んだ聖礼典式書をカロリング朝宮廷へ送っている。その後、このローマ聖歌は現地のガリア聖歌の影響を受けて改変されつつ記譜され、さらに8つの教会旋法へと整えられていく。このフランク・ローマ折衷のカロリング聖歌は、教会暦上不足していたものを新しい聖歌で補いながら、「グレゴリオ聖歌」として完成することになる。グレゴリウスの名を冠した理由としては、当時フランク王国に多く招聘されていたイングランドの聖職者がアングロ=サクソン教会の創立者であるグレゴリウス1世をたたえたものであるという説や、当時の教皇グレゴリウス2世 (ローマ教皇)|グレゴリウス2世(715-731 在位)を讃えてこのように名付けられたものが、後に、彼よりはるかに有名な大聖グレゴリウスに作を帰する伝説が生まれたとする説McKinnon, ''Antiquity and the Middle Ages'' p. 114.がある。この伝説では、グレゴリウスは聖霊の象徴である鳩に霊感をうけて聖歌を書き取ったとされ、グレゴリオ聖歌に聖性と権威を与えることとなった。グレゴリオ聖歌がグレゴリウス1世の手になるという言説は、今日に到るまで広く信じられているWilson, ''Music of the Middle Ages'' p. 13.

普及と覇権


グレゴリオ聖歌は、瞬く間にヨーロッパ全土に驚くほど均質な様式を保ちながら普及した。カール大帝は神聖ローマ皇帝となると、聖職者にグレゴリオ聖歌を用いなければ死罪とすると脅迫し、積極的に帝国内にグレゴリオ聖歌を広めて、聖権力および世俗権力の強化を図ったDavid Wilson, ''Music of the Middle Ages'' p. 10.。英語やドイツ語の史料からは、グレゴリオ聖歌は北はスカンディナヴィア、アイスランド、フィンランドまで広まったことが窺えるHiley, ''Western Plainchant'' p. 604.。885年には、教皇ステファヌス2世 (ローマ教皇)|ステファヌス2世が教会スラヴ語を用いた典礼を禁止し、これによりポーランド、モラヴィア、スロヴァキア、オーストリアなどを含む、東方のカトリック教会支配域でもグレゴリオ聖歌が優勢となった。西方キリスト教世界の他の聖歌は、新しいグレゴリオ聖歌の強い圧迫をうけることとなった。カール大帝は父の方針を受け継ぎ、現地のガリア式の伝統を捨て、ローマ式の典礼を好んだ。9世紀には、ガリア典礼およびガリア聖歌は実質的には廃止されたが、これには地元の抵抗がないわけではなかったApel, ''Gregorian Chant'' p. 80.。イングランドではソールズベリー式典礼(サルム典礼)においてグレゴリオ聖歌がケルト聖歌を駆逐した。ベネヴェント聖歌については、1058年の教皇教令によって禁止されるまで、1世紀以上、グレゴリオ聖歌と共存した。モザラベ聖歌は、西ゴート族とムーア人の流入のなか生き残ったが、レコンキスタによりスペインにローマの支持を受けた高位聖職者が配置されるに至り、廃されることとなった。一握りの限られた教会でのみ歌うことが許されたために、現代のモザラベ聖歌はグレゴリオ聖歌との同化が進み、もとの音楽的形態をほとんど留めていない。アンブロジオ聖歌のみが、アンブロジウスの音楽家および宗教者としての権威のために、今日までミラノにて残存している。グレゴリオ聖歌は、やがて、ローマの固有の聖歌(今日では古ローマ聖歌と呼ばれる)にもとって代わるようになる。10世紀には、イタリアでは実質上、音楽の記譜はまったく行われておらず、ローマ教皇たちは、10世紀から11世紀にかけて、神聖ローマ皇帝からグレゴリオ聖歌を移入し続けた。例えば、クレドは神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ2世の要望で1014年にローマ典礼に追加されたものであるRichard Hoppin, ''Medieval Music'' p. 47.。大聖グレゴリウスの伝説によって権威が高められたグレゴリオ聖歌は、ローマ固有の真正な聖歌とみなされるようになり、今日にまで至る。12世紀、13世紀には、グレゴリオ聖歌は西方キリスト教世界の他の聖歌を完全に凌ぎ、駆逐した。他の聖歌に関する後代の史料からは、聖歌をグレゴリオ聖歌的な教会旋法に組織する試みなど、グレゴリオ聖歌の影響が強まる様子を見ることができる。一方で、これらの失われた聖歌の伝統はグレゴリオ聖歌の中に取り込まれていったことが、様式の分析や歴史的分析によって明らかになってきている。例えば、聖金曜日のインプロペリアは、ガリア聖歌の伝統を残していると考えられているCarl Parrish, "A Treasury of Early Music" pp. 8-9

初期の史料と後代の改訂


現存する最古の楽譜史料は、9世紀後半のものである。それ以前は、聖歌は口頭で伝承されていた。多くの研究者が、記譜法の発達がヨーロッパ全土へ共通の聖歌が普及する要因となったと考えている。最初期の楽譜は、主にドイツのレーゲンスブルク、スイスのザンクト・ガレン修道院、フランスのラン (フランス)|ランおよびリモージュのサン・マルシャル修道院に残されている。グレゴリオ聖歌は、「堕落した」歌を「元の形」に糺すという名目で、しばしば改訂を加えられた。初期のグレゴリオ聖歌は、教会旋法の理論的構造に合致するように改変されている。1562年から3年にかけて、トリエント公会議によりセクエンツィアのほとんどが禁止された。ギデット(Guidette)の1582年発行の ''Directorium chori'' および1614年発行の ''Editio medicaea'' は、当時の美学的基準にあわせて、堕落し、問題があるとみなされた「粗野な部分」を徹底的に改変しているApel, ''Gregorian Chant'' pp. 288-289.。1811年には、フランスの音楽学者アレクサンドル=エティエンヌ・ショロン(Alexandre-?tienne Choron)が、フランス革命中のカトリック教会の無力への過激な保守反動の一貫として、フランス的堕落を廃し、「純粋な」ローマのグレゴリオ聖歌へ回帰することを唱えたHiley, ''Western Plainchant'' p. 622.。19世紀末には、古い典礼書や音楽写本が調査され、校訂されるようになる。1871年、メディチ家のグレゴリオ聖歌写本が再版され、教皇ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世によって、唯一の公式な版と認定された。1889年には、これに対抗し、中世のもともとの旋律を追求した ''Pal?ographie musicale'' (音楽の古文書学)がフランスのサン・ピエール・ド・ソレーム修道院によって出版された。ソレーム修道院の復興聖歌は研究者には高く評価されたが、教皇庁には拒否された。 その後ソレーム修道院の聖歌は『リベル・ウズアリス』にまとめられ、1903年に教皇レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世が没すると、その後継者ピウス10世 (ローマ教皇)|ピウス10世は即座にソレーム修道院の聖歌を権威あるものと認め、翌1904年には、ヴァチカン版のソレーム聖歌が認定された。しかしその後、ソレーム修道院の校訂に対して、研究者から疑義が呈されることになった。特に問題となったのは、問題の多いリズム解釈を強引に用いるために、様式を恣意的に改変していた点である。ソレーム版では、原本にはないフレーズ記号や、音符の長さを示す「ネウマ譜|エピセマ」や「モラ」の記号を挿入している一方で、原本にある、リズムや速度の加減などのアーティキュレーションを示す意味のある文字を取り除いている。このような校訂によって、ソレーム版の歴史的正当性は疑われるに至ったHiley, ''Western Plainchant'' p. 624-627.。ピウス10世は、1903年の教皇自発教令 ''Tra le sollicitudine'' によって、グレゴリオ聖歌の使用を命じ、信徒に対してミサ通常文を歌うことを推奨したが、固有文の歌唱は男性のみに限った。保守的なキリスト教コミュニティではこの伝統が守られているが、第2バチカン公会議にて、グレゴリオ聖歌の代わりに、それぞれの土地の現代の音楽などを用いることが公的に許可されたため、カトリック教会自体はもはやこの制限を維持していない。ただし、教皇庁では、依然としてグレゴリオ聖歌がカトリック教会の公的な音楽であり、讃美にもっともふさわしい音楽であるとしているThe Constitution on the Sacred Liturgy, Second Vatican Council

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Mahrt, William P. (2000). Chant. In ''A Performer's Guide to Medieval Music'', Ross Duffin, ed., pp. 1-22. Bloomington, IN: Indiana University Press. ISBN 0-253-33752-6  Wagner, P...

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