シンフォニックジャズの知識
シンフォニックジャズ
シンフォニック・ジャズ(symphonic jazz)は、ジャズと交響的なクラシック音楽の融合体といえる、音楽のジャンルの1つ。ただしその試みが真の意味で成功した例は少ないであろう。概念としては、デンヴァー・シンフォニーのヴィオラ奏者からポピュラーの世界へ転進したポール・ホワイトマンが企画し、1924年2月12日にニューヨークのエオリアン・ホールで開いた「All American Music Concert」と名付けられたコンサートにその発端が見られる。このコンサートで発表された『ラプソディ・イン・ブルー』は作曲者のジョージ・ガーシュウィン自身のピアノとホワイトマン楽団の協演によって演奏されたが、それまでに例を見ない、シリアス・ミュージックとジャズを組み合わせたシンフォニック・ジャズとして評価を受けた。ただしそのアレンジはホワイトマン楽団専属の作曲・編曲家ファーディ・グローフェによってなされ、発表された後にも数回に及ぶ改訂(ガーシュウィンの死後も含めて)がされている。この曲が世に現れたことで、和声|機能和声の爛熟から破壊へと流れていたクラシック界は、1つの新たな道を見出すことになる。ジャズで使われる音の使い方やリズム構成などを自作に応用する作曲家が数多く現れたが、本来の意味でのシンフォニック・ジャズを作り出すに至った作品は数少ない。前述したガーシュウィンによる『パリのアメリカ人』、グローフェによる『グランド・キャニオン』などはその成功例の1つとも考えられるが、その音楽の描写的な明快さからクラシック音楽の流れの中では軽く扱われてしまう面も否めない。ちなみにガーシュウィンは、自分の出世作である『ラプソディ・イン・ブルー』の管弦楽法|オーケストレーションを自分の力でできなかったことをひどく気にしていたようである。モーリス・ラヴェル|ラヴェル、イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラビンスキーなどに教えを請うことまで考えていたが、ラヴェルには「既に一流のガーシュウィンなのに、二流のラヴェル(ラヴェルの亜流)になる必要はないでしょう」と言われ、ストラヴィンスキーには自分より収入が格段に高いということで相手にされなかったという逸話がある。後にガーシュウィンはオーケストレーションを独学で学び、『ピアノ協奏曲 (ガーシュウィン)|ピアノ協奏曲へ調』などの傑作を残した。
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