近代音楽の知識

概論(ヨーロッパ編)


ドイツ語圏


後期ロマン派の延長から無調音楽へ


20世紀初頭から第一次世界大戦までは、後期ロマン派の延長上にある音楽がドイツ語圏とくにオーストリアのウィーンを中心に多く作られた。グスタフ・マーラー|マーラーやリヒャルト・シュトラウスなどがその代表と言える。またアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー|ツェムリンスキーから新ウィーン楽派の初期にかけてが、この後期ロマン派の最後期と見てよい。アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルクの「浄夜」「ペレアスとメリザンド」「グレの歌」、アルバン・ベルク|ベルクの「ピアノソナタ」、アントン・ヴェーベルン|ヴェーベルンの「夏草の中で」などがそれにあたる。シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンはそれらの初期作品の後、1908年頃から徐々に調性を放棄し無調による表現主義と呼ばれる作風へ至った。また1920年代にはそれを組織化する手段として十二音技法を生み出し、以後この技法による表現の可能性を各人がそれぞれ独自性をも示しつつ探求した。
これに対し、ツェムリンスキーやフランツ・シュレーカー|シュレーカーは機能和声からは離脱し、部分的には複調も取り入れつつも、その後も後期ロマン派の香りを留めた調的作品を残した。新ヴィーン楽派の影響を受けたその後の世代の作曲家にはエルンスト・クレネク|クレネクやハンス・アイスラー|アイスラーがいる。クレネクは若い頃は新古典主義音楽|新古典主義様式による歌劇を大ヒットさせたりしていたが、1930年代後半からは十二音技法を取り入れた。アイスラーは無調や十二音技法の影響をうけつつも、政治的作品を多く残し、大衆への訴えのために平明な調的語法も用いた。

その他のドイツ語圏の動向


新ヴィーン楽派以外の動向では、拡大された調性によるネオ・バオック的新即物主義、新古典主義音楽|新古典主義のパウル・ヒンデミットがドイツ語圏では最も強い影響力を持っていた。そのほか、近代的な味付けを施して後期ロマン派を継続させたエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト|コルンゴルト、無調や複調を用いて20世紀の不安を暴力的に描くカール・アマデウス・ハルトマン、独特なオスティナート語法が特徴的なカール・オルフなどが挙げられる。その後の世代としては、ボリス・ブラッハー、ゴットフリート・フォン・アイネムなどがヒンデミット的な全音階的調的語法を受け継いだ。

フランスおよびフランス語圏


印象主義、原始主義の音楽とロシア・バレエ団


フランスではカミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス、ガブリエル・フォーレ|フォーレ、エルネスト・ショーソン|ショーソンといった19世紀後半より活躍した作曲家たちが、リヒャルト・ワーグナー|ワーグナーの影響を受けながらもフランス独特の音楽様式を確立していた。その様式のエスプリ(精神)は保ちながらも、音楽的には機能和声の放棄というまったく新しい語法を開拓したのがクロード・ドビュッシーであり、モーリス・ラヴェルと共に美術の印象派(印象主義)になぞらえて「印象主義音楽|印象主義の音楽」と呼ばれた。実際は、モーリス・ラヴェル|ラヴェルの方が印象主義を先取りしたと言われている。どちらが先か、という問題に対しては、関係項目(モーリス・ラヴェル|ラヴェル・クロード・ドビュッシー|ドビュッシー・印象主義音楽|印象派)が詳しいので、参照のこと。彼らは感覚的ではあるが高次倍音を取り込んだ新たな和声や、聴き手に視覚的な印象を想起させる色彩的で遠近法的な管弦楽法を生み出した。またドビュッシーによってはじめて多用された全音音階は、調性感覚を薄める音楽語法の一つとして注目され、以後多くの作曲家が追随した。(全音音階は部分的な使用についてはグリンカなどにも先例があるが、繰り返し使用し一般に認知されたのはドビュッシーからである。)またこの頃セルゲイ・ディアギレフ|ディアギレフが主宰するロシア・バレエ団がパリで活躍し、多くの作曲家にバレエ音楽を委嘱した。前述のドビュッシーやラヴェルも、彼らの代表作の1つとなるような作品を書き上げたが、このバレエ団によって世にその名を轟かせたのはなんといっても、この時代はフランスで活動したロシア人イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキーだろう。初期三大バレエと呼ばれる「火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」を続けて発表するが、3作目の「春の祭典」はあまりにショッキングな作風のため、会場のシャンゼリゼ劇場は演奏中から乱闘騒ぎを起こし、空前絶後の混乱に陥った(ただしパリ市民の音楽界での乱闘騒ぎは、過去にリヒャルト・ワーグナー|ワーグナーの「タンホイザー」パリ初演などの例がある)。しかし翌年演奏会形式で再演したときには好評を持って迎え入れられ、新たな音楽の潮流として世に認められた。

新古典主義


新古典主義はフランスだけの現象ではないが、主要な作曲家にフランスにかかわりのある人物が多いのでフランスの項で扱う。ストラヴィンスキーは三大バレエ音楽の後、この新古典主義へと作風を転換した。またフランス六人組と呼ばれる作曲家およびその周辺の同世代の作曲家(ジャック・イベール|イベールやアルベール・ルーセル|ルーセルなど)は、年長のエリック・サティ|サティを旗印とし(ただし後に一部は絶交)、美術家のパブロ・ピカソ|ピカソや詩人ジャン・コクトー|コクトーらとも関わりながら音楽活動を展開した。他にスペイン人だがフランスに関わりの深いマニュエル・デ・ファリャ|ファリャの後期作品(例えば「クラウザン協奏曲」)などにも新古典主義の影響が見られる。

木管楽器の音楽とオルガン音楽の発展


フランス楽派と呼ばれる演奏流儀が、パリ音楽院の器楽科を中心として20世紀初頭ごろより勃興した。特に木管楽器は楽器の改良と共に奏者の技術も目覚しく発展し、それに伴い多くのフランスの作曲家が、日々進歩する楽器の性能を駆使しつつ多くの新しい曲を生み出した。木管楽器奏者のソロや室内楽のレパートリーには、現在もなおこの頃のフランス近代音楽が多い。またオルガン音楽もこの頃特に盛んであった。オルガンは主に教会のミサで演奏されることが多く(フランスはカトリック教会|カトリック国であり、ほとんどの教会はカトリックのしきたりに沿ってミサを行う)、司祭をはじめ会場の動きや時間配分に合わせて即興演奏を行う必要がある。よってオルガンには即興演奏が付きものなのだが、19世紀のセザール・フランク|フランク以来の流儀を引き継いで、フランスのオルガン音楽は即興のみならず目覚しい発展を遂げた。またもちろん優れた即興を書き留めてそれを元に作品を練り上げることもあった。この分野ではマルセル・デュプレ|デュプレをはじめ、後述のシャルル・トゥルヌミール|トゥルヌミールやジャン・アラン、さらにシャルル=マリー・ヴィドール|ヴィドール、モーリス・デュリュフレ|デュリュフレなどが挙げられる。オリヴィエ・メシアン|メシアンもオルガニストとして活躍し、生涯の広範囲にわたって多くの優れたオルガン音楽を作曲している。

ジュヌ・フランス


フランス六人組よりもさらに若い世代として、ジュヌ・フランス(若きフランス)と呼ばれる作曲家グループが結成された。主要なメンバーはオリヴィエ・メシアン|メシアン、アンリ・デュティユー|デュティユー、アンドレ・ジョリヴェ|ジョリヴェ。彼らはその活動の最初期において、フランス近代音楽の潮流を引き継ぎつつも、調性音楽からの乖離を試みた。しかし新ウィーン楽派のように、旋法性などをも全面的に否定した訳ではなかった。その他、オルガン音楽の分野で有名なシャルル・トゥルヌミール|トゥルヌミール、ジュアン・アランらもメンバーであった。ジュアン・アランはオルガニスト・マリー=クレール・アランの兄であり、彼自身もオルガン曲を中心に活発な作曲活動をしていたが、第二次世界大戦で戦死した。特筆すべきは、メシアンが1930年代に本格的な作曲活動を開始したばかりの頃、同時期に生まれたばかりの新しい電子楽器オンド・マルトノを複数用いて作曲していることが挙げられる。委嘱による機会ではあったが、その中の1曲「美しき水の祭典」は、その後彼が第二次世界大戦で捕虜となった際に書かれて代表作の1つとなった「世の終わりのための四重奏曲」に転用している。ジョリヴェも戦後まもなく「オンド・マルトノ協奏曲」を作曲した。

イタリア


オペラにおいてはピエトロ・マスカーニ|マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功(1890年)を受け、ヴェリズモ・オペラの流行が起きた。同作およびルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロの「道化師 (オペラ)|道化師」の2作がその傾向の代表作とされる。彼らと同世代に属するジャコモ・プッチーニ|プッチーニはもともとヴェリズモの影響を受けつつ後期ロマン派の作風から出発したが、20世紀に入ると全音音階や激しい不協和音・平行5度を多用するなど、部分的には同時代の先端の技法を取り入れていて、イタリア印象主義音楽の先駆者となった。イタリアの音楽界は圧倒的にオペラ中心であり、演奏会用の管弦楽や室内楽を積極的に書く作曲家はなかなか現れなかった。そこに現れたのがオットリーノ・レスピーギ|レスピーギである。中でも「ローマの松」において、実際の鳥の声を録音したものを上演中に再生して使用する試みは注目に値する。レスピーギはまた旋法の復興にも熱心であり、この点では同時代のフランス音楽とも共通する語法を探求したと言える。レスピーギと同世代のアルフレード・カゼッラ|カゼッラ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ|マリピエロ、イルデブランド・ピツェッティ|ピツェッティの3人は複調や新古典主義などの近代的語法をより本格的に取り入れ、イタリア近代音楽に大きく貢献した。前衛的な活動としてはルイジ・ダラピッコラ|ダラピッコラによって、イタリアにおける最初期の十二音技法の試行が挙げられる。実際は同時期にジャチント・シェルシ|シェルシによっても同様の試みが行われていたが、シェルシにとって十二音技法は自己の語法とあまりにかけ離れており、結果的に精神的破綻を起こしてしまう。以後は異なる作風に転向した。シェルシの音楽は1980年代のケルンのISCMの現代音楽祭でハンス・ツェンダーにより指揮され、ようやく世界的に認識された。

北欧と中欧・東欧


19世紀の音楽はドイツ語圏が大きな中心となっていた。それに対していわゆる周辺国の作曲家が独自の民族的な音楽語法を探索する動きもすでに起こっていたが、20世紀以降に新たな展開を見せた。日本においても伊福部昭などにより民族主義が試みられているが、これは概論(日本編)において記す。''(この項未執筆)''

北欧


北欧では、フィンランドのジャン・シベリウス|シベリウスがロシア帝国|帝政ロシア支配下のフィンランドで民族的な題材やメッセージをこめた音楽を多く世界に発信し、その後独自の音楽語法を発展させて、フィンランドの国民的作曲家となっていたが、そのスタイルはあくまで後期ロマン派から外へ出るものではなかった。デンマークのカール・ニールセン|ニールセンも同様に後期ロマン派様式を基本としているものの、リズムの扱いや復調の導入などでより近代的な面を持っている。この1860〜70年代生まれの世代には他にもスウェーデンのヒューゴ・アルヴェーン|アルヴェーンやヴィルヘルム・ステーンハンマル|ステンハンマルなどがいるが、いずれも後期ロマン派様式の範疇にある。北欧の音楽がより近代音楽としての性格を持ち始めるのはより後の世代の作曲家からである。アーッレ・メリカントはフィンランドにいながらにして、世界的に見ても最も前衛的な立場を取る作曲家の1人であった。ノルウェーのは無調や十二音技法による作品を残し、「北欧のシェーンベルク」などとも呼ばれた。スウェーデンのアラン・ペッタションは17曲に及ぶ無調の長大な交響曲を残している。

中欧・東欧


中欧・東欧ではまずハンガリーのバルトーク・ベーラ|バルトークとコダーイ・ゾルターン|コダーイの二人が挙げられる。特にバルトークは民族的な語法から純粋な音楽現象としての作曲理論を確立させ、調性音楽における転調理論の極限までの発展と、新ウィーン楽派の十二音技法とは別の流儀での12半音階の完全組織化を試みフィボナッチ数列を独自の作品に使った。チェコではシュレーカーやニールセンと同様の後期ロマン派と近代の架け橋的存在としてヨセフ・スク (作曲家)|スーク、ヴィーチェスラフ・ノヴァーク|ノヴァーク、より民族主義的独自性の強いレオシュ・ヤナーチェク|ヤナーチェクがおり、より後の世代としては新古典主義に進んだボフスラフ・マルティヌー|マルティヌー、微分音を追求したアロイス・ハーバ|ハーバがいる。ポーランドではカロル・シマノフスキ|シマノフスキが重要な存在で、ポーランド楽派の基礎となった。一連の交響曲などによって民族的でありながら同時に極めて印象主義的な作風を示している。

ロシア(ソ連)


ロシアの近代音楽に相当するのは国民楽派以後の作曲家だが、とりわけアレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン、セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ、アラム・ハチャトゥリアン|ハチャトゥリアンそれにドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチが代表的な存在である。スクリャービンは前期においてはフレデリック・ショパン|ショパンやリヒャルト・ヴァーグナー|ヴァーグナーの影響を示す後期ロマン派様式の作品を書いていたが、やがて独自の神秘和音などの技法を発展させて機能和声から離脱し、晩年には無調に到達した。ロシア革命直後のソ連では、前衛的社会を建設しようとする社会気風と相まってロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる前衛的な芸術運動が生まれ、音楽においてはニコライ・ロスラヴェッツ|ロースラヴェツやアレクサンドル・モソロフ|モソロフらがスクリャービンの後期の様式をもとに前衛的な作品を生み出したが、ヨシフ・スターリン|スターリン体制の成立と共に前衛的芸術活動は弾圧され、作風の変更を余儀なくされた。プロコフィエフは初期にはストラヴィンスキーの原始主義に接近して交響曲第2番、第3番などを書き、また同時に新古典主義である古典交響曲などを作曲していたが、亡命先からロシアへ帰国した後は、新ロマン主義的ともいえる社会主義リアリズムの作風に進んだ。ハチャトゥリアンは故郷のアルメニアの民族音楽と深く結びついた社会主義リアリズムの作風を持つ。ショスタコーヴィッチはシェルシのような即興音楽と深い関係があり、バッハの対位法やルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェンの動機展開なども独特に駆使したが、政治的圧力との戦いによって後に前衛的な手法を放棄または隠すざるを得なかった、運命的に後のユンやノーノに見られる政治音楽の先駆者でもある。

イギリス


エドワード・エルガーのような純粋に後期ロマン派の作曲家よりも後の世代では、「イギリス印象派」とも呼べる作曲家たちを挙げる事ができる。すなわちレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ|ヴォーン=ウィリアムズ、グスターヴ・ホルスト|ホルスト、フレデリック・ディーリアス|ディーリアスらである。ディーリアスのみが完全な印象派の手法で作品を発表しているが、他の作曲家はロマン派との手法が混在している。これに対し、ウィリアム・ウォルトン|ウォルトンはより不協和で近代的な作風を持ち、さらに後の世代ではマイケル・ティペット|ティペットやベンジャミン・ブリテン|ブリテンが重要な存在である。

スペイン


この項に適する第一人者はファリャである。彼の作風はスペインの民族舞踊と深く結びついてはいるが、印象主義的な手法も見落とす事はできない。他にもう少し冷たい作風のグラナドスらがいる。

バルカン諸国


''(この項未執筆)''

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