現代音楽の知識

他分野の音楽、およびそれらとの相互の影響


今日、クラシック音楽の流れとしては見なされない他分野の音楽(例えばポップ、ジャズ、ロックなど、主に商業音楽と位置づけられている音楽分野)は、クラシック音楽とは分けて考える認識が一般的である(この定義・問題についての詳細は現代の音楽の項で扱うこととする)。これら他分野の音楽への現代音楽の影響としては、1960年代後半頃以降、フリー・ジャズやコンテンポラリー・ジャズ、あるいはプログレッシブ・ロック、ノイズミュージックなどのジャンルに影響を与えた。また先に述べた「マニエリスムの音楽」の一部には、こうした他分野の商業音楽の語法を取り入れた音楽もある。

商業音楽との境界

ドイツ語では、まじめな音楽"Ernste Musik(E-Musik)"と娯楽音楽"Unterhaltungsmusik(U-Musik)"という分類があり、この「まじめな音楽」がクラシック音楽および現代音楽を指す(他民族の音楽においても伝統にのっとった厳粛なものや宮廷音楽などの場合はE-Musikに相当すると考える)。現代においては、主に商業の流通に直接のっとった音楽商業音楽をU-Musikと呼び習わしている。他の国での考え方もほぼこれと同類であると見てよい。日本語では大雑把にいってクラシック音楽が前者(E-Musik)、ポピュラー音楽が後者(U-Musik)に当たる。ただしこの(ドイツ語を借りれば)E-MusikとU-Musikのいわゆる中間に位置する音楽というものも多数存在する。これらはU-Musikの範疇としては進歩的・先鋭的な立場にあるが、E-Musikの範疇では(一般的な価値観では)扱われない音楽を指す。これらの音楽はアヴァン・ポップ(avant pops)とも呼ばれている。
: パブロ・メルクは一時期E-MusikとU-Musikの混血児のような作風に没頭しており、アンリ・プスールの作品に「E-Musik?それともU-Musik?」という題名の作品がある。
セミ・クラシックと呼ばれる音楽もこれに該当する。この領域の音楽が、最も著作権問題にうるさい音楽になっている。

映画音楽


映画音楽については、そのほとんどが前項の娯楽音楽に含まれるという認識が一般的だが、現代音楽の作曲家が映画音楽を手がける例もあり、そのうちのいくつかは(その映画作品そのものの芸術的・先鋭的な姿勢に呼応して)先鋭的な音楽をつける場合がある。こうした音楽は現代音楽と認識される場合がある。こうした例は現代音楽に限らず、トーキー|トーキー映画が登場した20世紀初頭の近代音楽においても見られる(あるいはサイレント映画の伴奏も含む)。; 近代での具体例
  • 映画「アレクサンドル・ネフスキー (映画)|アレクサンドル・ネフスキー」監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ(後に同名のカンタータにまとめた)
  • 映画「美女と野獣」 監督:ジャン・コクトー/音楽:ジョルジュ・オーリック; 現代での具体例
  • 映画「怪談 (1964年映画)|怪談」 監督:小林正樹/音楽:武満徹また、現代音楽の既存の作品が映画のBGMとして流用される場合もある。; 具体例
  • 映画「2001年宇宙の旅」 監督:スタンリー・キューブリック/二次使用された音楽:ジェルジ・リゲティ「ルクス・エテルナ」および「アトモスフェール」現代音楽やそれに近い先鋭的な音楽が当てはめられる映画は、往々にしてホラー映画ほか恐怖を題材とした映画が多く、またホラー映画製作中に最適なBGMや作曲家を求めて現代音楽にたどり着く例もある。「エクソシスト (映画)|エクソシスト」を監督したウィリアム・フリードキンは、当初予定されていたラロ・シフリンのメロドラマ的な映画音楽を起用せず、プログレッシヴ・ロックと現代音楽の境に位置するマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」を起用して観客に強い印象を与えた。現代音楽の作曲家が映画音楽の仕事を手がける場合は、その理由に収入もあるが、演奏会用純音楽ではなかなか実験できない新しいアイデアを、映画音楽において試みる場とすることがある。オーケストレーションの実践であったり、あるいはそれまで作曲家にとって使ったことのない楽器や音響技術を試みる場合もある。日本での例では伊福部昭、早坂文雄などの先例に続き、武満徹、池辺晋一郎などが映画音楽に多くかかわっている。武満の例では、琵琶や尺八を最初に用いたのは映画音楽の中であり、その後に代表作「ノヴェンバー・ステップス」など純音楽でも邦楽器を進んで用いるようになった(詳細は武満徹の項を参照)。また映画音楽に限らず、演劇の舞台音楽やテレビ番組(特にドラマやドキュメンタリー番組など)の音楽などを手がける場合もある。珍しい例ではないが、ベルント・アロイス・ツィンマーマンは一時期、収入がそのような音楽の仕事のみになったことがある。近年のマニエリスムの音楽の作曲家は、映画音楽そのものを純音楽として演奏会で上演する場合も多い。映画用の音楽だから普段の作風とは別にわかりやすいものを作るという考えではなく、もはや映画音楽と自己の純音楽との作風がほとんど大差ないといえる。; 具体例
  • 映画「ピアノ・レッスン」 監督:ジェーン・カンピオン /音楽:マイケル・ナイマン
  • 映画「クンドゥン」 監督:マーティン・スコセッシ/音楽:フィリップ・グラス
  • 映画「戦場のメリークリスマス」 監督:大島渚 /音楽:坂本龍一
  • 映画「風の谷のナウシカ」以降の宮崎駿監督のアニメ映画/音楽:久石譲(彼はこの仕事の成功により、現在では映画音楽の作曲家としての名声のほうが高い)
  • 映画「レッド・バイオリン」 監督:フランソワ・ジラール/ジョン・コリリアーノ映画音楽が折衷主義的なポジションを得た最大の要因は、亡命したエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトがハリウッドで後期ロマン派の様式による音楽を書き続けたことが非常に大きい。彼がこのような仕事をもし引き受けていなかったら、映画音楽はマニエリスムの音楽の巣窟にはならなかったという可能性が指摘されている。カリフォルニアで教鞭をとったアルノルト・シェーンベルクのレッスンを受けた者の多くが、ハリウッドで映画音楽の製作に関わっているのではないかという説があるのは興味深い。原則的に未聴感ではなく既聴感に訴えかける産業がこのような経緯で成立している。

    具体音の導入


    ミュジーク・コンクレートにおけるサンプリング手法はその後、電子的なサンプラーにより、一般的なポップミュージックにも応用されるようになった。これは具体音の録音を音楽の一部として認識するという意味において特筆すべき事項である。音を録音してさらにそれを電子的な技術により変調させたものを使うという発想が一般に定着したのは、ミュジーク・コンクレートの功績が大きい。ただしクラシック音楽の歴史において具体音を効果として盛り込む試みはすでに多く見られる。例えばレオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」での鳥笛など音の出るおもちゃ、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」での鉄のレールをハンマーで叩く音、グスタフ・マーラー|マーラーの交響曲で使われる木づちや鎖など特殊な打楽器などである。セミクラシックと呼ばれるルロイ・アンダーソンの「タイプライター」では、題名どおりそのものを打楽器として用いている。音楽劇の中で劇中の小道具を音楽に取り込む用法としてはリヒャルト・ワーグナー|ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、主役の靴職人ハンス・ザックスが宿敵ベックメッサーの歌の練習を邪魔して靴を叩く音を挿入したり、サティの舞台音楽「パラード」で大騒ぎの挙句ピストルやサイレンの音を挿入したりするなどの例が挙げられる(サイレンの音は、後にエドガー・ヴァレーズが「イオニザシオン」などで純音楽的効果として用いている)。これらは録音技術以前において具体音を音楽として取り込んでいる例である。また具体音を楽音で模した例となると無数にある。シャルル=ヴァランタン・アルカン、アルチュール・オネゲル、ルエド・ランゴーが鉄道の音を模倣しているが、アルカンのころには既存の音楽の枠に具体音を押し込めていたのが、ランゴーのころには忠実な具体音の模写そのものが音楽になっている。直接的な音響効果を求めるだけでなく、その音響を聴き手が認識することによってその音から別の事象が連想されるという意味合いがある。これら具体音の導入は、商業音楽などの分野にも決定的な影響を与えた。日本における前衛的音響はテレビ番組の効果音からJ-POPのバックトラック、果てはアニメのサウンドトラックまで幅広く浸透しており、「作品としてなら聞けないが、効果としては聞ける」受容へ至っている。簡単に受け入れられた例として「ゴジラ_%28架空の怪獣%29|ゴジラ」の鳴き声を挙げておく。伊福部昭の発案によるこの音は、コントラバスの特殊奏法を最大限に増幅して得られた。本来微小な音響を最大限に増幅する手法は小杉武久や池田亮司の作品においてしばしば現れるものである。

    現代音楽における他分野の音楽の引用

    この試みについては古くは20世紀初頭でのチャールズ・アイヴズ|アイヴスの異なる音楽同士の組み合わせや、ジョージ・ガーシュウィン|ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」におけるジャズの語法の導入、さらにさかのぼれば18世紀にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェンが当時の流行歌を主旋律に取り込んで変奏曲に用いたピアノ三重奏曲「街の歌」などにも見られる。これらは単に語法を取り込んだという事実だけでなく、その語法を取り込むことによって聴き手に既聴感を想起させ喜ばせるという意味合いも生まれる。主に近年のマニエリスムの音楽の作曲家の間では、こうした手法は広く行われている。現代音楽の古典としての地位を占める作曲家ルチアーノ・ベリオの一部の作品では、例えばテープ音楽「迷宮」において、フリー・ジャズ的な語法およびポップ音楽のバックコーラス的なスキャット唱法などがかいま見えるが、これは後のマニエリスムの音楽の潮流の到来を予感させるとも言える。その最大の立役者はドイツのケルンのカールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼンの先輩にあたるベルント・アロイス・ツィンマーマンであろう。彼のクラシック音楽のほとんどまたは常に登場するジャズの語法と引用の頻度の多さでのコラージュ手法は、他の作曲家の追従を許さない反面、セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフやレオシュ・ヤナーチェク|ヤナーチェク、カール・オルフの繰り返しの技法のように常にその一定の作法に頼ってしまうという危険性も併せ持っている。引用音楽の王者とも言われる。

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    ポール・グリフィス・著、石田一志・佐藤みどり・共訳『現代音楽 1945年以後の前衛』音楽之友社、1987-12-20出版。ISBN 4276113520  船山隆・著『現代音楽』(全2巻)小沢書店、1983年4月。  松平頼暁・著『現代音楽のパサージュ(20.5世紀の音楽増補版)』青土社、1995年。ASIN 4791753585関連項目 20世紀以降のク...

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